2017年8月17日木曜日

巨象はとまらない ~最終章~ 和解と誠実さ

私は、最終的に第一審の判決と同じ補償内容(特別補償の死亡保険金1500万円)と、大手旅行会社の社長名での「謝罪」文章をもらうことを和解条件として付けることで、和解をすることを選択した。

大手旅行会社の社長からのレターは詳しくは明かせないが、「『自殺』という事を理由として不払いをしていたことを真摯に反省する」ことを認めさせた。私としては、保険金云々よりも、父への死の尊厳というものを守る方が大事であった。

和解でいろいろと東京高等裁判所の裁判官の方にお世話になった。私の主張に耳を傾け、私の悩み、辛さ、苦しみまで耳を傾けてくれたのだ。大手旅行会社の弁護士は、「裁判では感情は関係ない」と言い放っていたが、この人は違ったのだ。

大手旅行会社弁護士1名、その付き添い社員1名(法務関連の人だと思う)は、私からすると、「調整」「交渉」という事が一切できない人たちだと感じた。自社の保身と自社の保身による利益の最大化にしか興味がないので、この会社のレベルはこの程度なんだと思っていたので、法律関係の人はこういう人しかいないと思っていたので意外であった。

和解当日、私は、大手旅行会社弁護士名1・社員1名と、保険会社弁護士3名・社員1名の6名に対して、一言伝えた。「いろいろと裁判なので言わせてもらった。事故が起こったのは不幸だが、自殺と言われたのは納得がいかなかった。企業を守る意味で自己の利益を保つために仕事で対応されていたと思うが、私は仕事で対応していたのではない。感情的な話し方があったのは申し訳ない。」と謝った。

保険会社の女性弁護士は、「お気持ちは理解いたしました」と声をかけてくれ、私は気持ちが「すっ」と落ち着いた。恨みも憎みもない。かつ、社員の方は、支払いに向けての調整などで、期限があるなか「なんとかする」と社内決裁の調整などに奔走する姿勢を示してくれたのだ。若手の男性である。私は、彼は言い訳をしないで邁進する責任感のある人だと感じた。

私は、当初保険会社の怠慢に怒りを覚えていたが、最後は好感すら覚えた。これが和解であると思う。

しかし、残念ながら、某大手旅行会社に対しては、最後まで顧客視点で何かを調整するという姿勢が、残念ながら私には見えなかった。社長からの手紙はあるものの、好感には至らない。そこには、人の心を動かす「感情」がないからだ。この会社でうたう経営理念やブランドスローガンを実感することは最後までなかった。私は、たぶん、この会社のツアーを選ぶことはないと思う。

和解終了後、旅行会社と保険会社の弁護士が退席した後、少し広めの部屋に、私と裁判官が残った。私は、裁判官の方に、いままで支援してくれたことを深々とお礼を申し上げた。裁判官の方は、「お父様のご仏前にご報告できる状態になってよかったです。最後まで立派でした。」と声をかけていただけた。その言葉は、仕事でかけてくれた言葉ではなく、心でかけてくれた言葉であった。私は少し目頭が熱くなった。気のせいか、裁判官の方も同じ感じのような気がした。


私は、44年間生きてきて、裁判所で弁護士なしで裁判をするとは思わなかった。でも、私にとってはこれは聖戦である。企業の理不尽さを消費者に押し付ける。企業は、一度下した判断を自らを振りかえり、判断を変えることをしない。こんな事がまかり通っていいのであろうか? 裁判をする人などいないから、一般市民に圧力をかければいい。弁護士という名前で、ハンコがたくさん並べた書面で、内容証明郵便を送ってくれば相手はビビる。訴訟などするわけがない。そういう気持ちが、少なくともあると思うし、訴訟になったら徹底的に戦うからいいのだという気持ちであって、そこに「誠実さ」とか「正直さ」とかはひとかけらもないのだ。

私は、どういう状況であれ「誠実さ」というものを大切にしたいと思うし、私の子供たちにも、きちんと精神を受け継いでいきたいと思う。これが、最後に父が残してくれた教えだと思うから。

父の冥福を祈る・・・


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