2017年7月7日金曜日

体当たりの裁判

裁判では、不慮の事故の解釈に対しての議論となった。

しかしながら、そもそも、裁判官から「なんで支払わないの?」という質問に対して、旅行会社も保険会社も曖昧な回答をする状況であり、人が亡くなっている事故なのに、こんな受け答えで、ムカついてしまった。

でも、そんなレベルなのである。本人訴訟を実施して、よかったと思う点は、私が感じている感情、違和感、そして、事実認識についての相違を直接、見聞きし、言葉を発する事ができた点である。これを、毎回、委任した弁護士に伝えるのは、大変である。今回、委任をしなかったことで、少なくとも、私は言いたいことを伝えられた。

ただし、やはり、法律的なものの見方、あるいは、有利・不利という事は、なかなか理解することができないのが正直なところである。別の言葉でいえば、戦術という事になるのかもしれないが、そこは、やはり素直に体当たりするしかない。

一つよかったことは、裁判官は、公平であるという事は確かである。私も、できるだけ、裁判官のいう事を理解しようとしたし、書記官の方も、裁判後など不明点などについて回答をしてくれた。本人裁判をする際には、書記官の方とも、いい関係を作っていく事が必要だと感じた。


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2017年7月5日水曜日

地方裁判所での1年にわたる戦い

訴訟が始まった。

私の地元である某裁判所で裁判を起こすこととなった。私は、東京地方裁判所でも裁判は可能だと思って、相手先の顧問弁護士に、どこの裁判所が都合がいいのかを念のため確認したが、「答える必要はない」と断られてしまった。

ま、そうやって素人を馬鹿にしているのかな、と思った。私が、法律を学んだのは、大学1年生の時の「法学」の授業だけである。それは顧問弁護士からしたら、大人と幼稚園児の差だと思うのであろう。でも、私もだてに社会人20年やっているわけではない。

私のやっている仕事は、システムエンジニアである。もう少しいうと、プロジェクトマネージャであり、お客様との仕事は、すべて「契約」で成り立っていることを理解している。その契約の背後には、当然ながら「法律」があり、損害賠償の請求から、安全配慮義務、プロフェッショナル責任などの善管注意義務など、さまざまなものが求められるし、それをプロとして遂行している。

相手からすれば、幼稚園児程度かもしれないが、少なくとも「高度な辞書」は読み込み、理解ができるレベルの「幼稚園児」ではあるのだ。訴訟は、次の流れで行われた。

 第1回: 訴訟内容の確認で終了    (10分)
 第2回: 安全配慮義務違反の確認  (10分)
 第3回: 不慮の事故の解釈の確認  (15分)
 第4回: 事故発生の機序の確認    (15分)
 第5回: 事故発生の機序の確認    (15分)
 第6回: 保険会社の調査結果の確認 (15分)
 第7回: 終結 (15分)

時系列でいうと、長い道のりである。

 H26. 6     : 旅行にて父がなくなる
   H26. 9      : 旅行会社がまともな判断ができず保険金不払いを通告
 H26. 9-12 : 旅行会社、保険会社顧問弁護士との再調整実施
 H27.1-3  : 旅行会社の顧問弁護士との調整で限界を感じる
 H27.3     : 旅行会社社長へ直訴
 H27.4-7   : 訴訟準備として、本人訴訟の本を読む
 H27.8-9   : 訴訟資料作成
 H27.10    : 某地方裁判所に訴状提出
 H27.12    : 第1回法廷開催
 H28.8      : 終結
 H28.10    : 第1審判決

父が亡くなったのが、H26.6であり、判決が出たのはH28.10。約2年4か月である。訴訟の開始時点から考えても、H27.10からH28.10の約1年である。

素人の私にしてみれば、裁判は、ストレスそのものであった。なぜならば、「いけ、しゃあしゃあ」と私の倫理観にそぐわないことを述べてくることに対して、一言一句、戦わなければならないのだ。

ずっと、相手のことを「人間の心があるのか?」と疑いたくなるような事を思い続けなければならない。たとえ、それが自分の言葉ではなく、企業という巨象の言葉を代理として述べているのだとしても、相手への経緯の払い方や、気遣いはあるべきであると思うが、なかなか「自身の非」をみとめないのだ。

私が、逆の立場だったら、会社側の社長、法務部に、法廷闘争をするのではなく、過ちを認めて和解するように働きかけたり、落としどころを見極めるために動くと思う。これが、プロジェクトマネージャーに期待される役割だ。

しかし、この企業の弁護士の立ち位置は、そのステージを超えた最終のステージなので歩み寄りなどを一切しないのである。そもそも、裁判官が聞いた「和解はしないのか?」に関して、「そのつもりはない」と答えており、委任とは言え、この旅行会社のスタンスは、こういうふうに消費者を扱うんだと感じたのだ。



   



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2017年7月4日火曜日

この会社の評判・・・


この会社は、大手の旅行会社である。ネットでの悪い評判は聞かない。だからと言って、100点満点の無事故かといえば、そうではないであろう。

なぜ、悪い評判がないのか。それは、企業として、ネットの検閲をしているのであろう。私のホームページも、常に監視をされているのである。何かを書けば、弁護士から指摘が来る。その取り組む自体は、企業ブランドもあることなので、大事な仕事である。

しかしながら、事実を隠そうとする体質だけは、どうしてもいただけない。私と同じように、「不慮の事故」であるにも関わらず、「不慮の事故ではない」として、保険の不払いをうけて泣き寝入りをする人もいるかもしれないからだ。

私が、このブログで訴えるのは、以下の点だ。
  1. 熱中症にかかわる注意喚起
  2. 死亡診断書の記載に関する注意喚起
  3. 不慮の事故に関する保険不払いへの対応
  4. 特別補償規定の適用、不払いへの対応に関する注意喚起
  5. 熱中症の保険金適用、不払いに関する注意喚起
  6. 本人訴訟に関わる手続き や 準備書面準備
  7. 一般的な事故対応と企業の訴訟対応へのリスク管理・コンプライアンス
この企業において、7の対応は、全くなっていなかった。結果、訴訟という事態に発展したのだ。弁護士は、訴訟が腕の見せ所なのかもしれないが、本当は、訴訟しないようにクロージングしていくのが腕の見せどころではないのか。。。

私は、「訴えるならば、早々に弁護士に相談したほうがよい」と、喧嘩を売られた。東芝クレーマー事件で例えるならば、「あなたは、お客じゃない。クレーマーっていうんですよ。」と社員が言ってしまうのと同じレベルである。

この企業倫理の欠如、コンプライアンスの欠如が、どうしても出てしまうのである。それほど、企業の経営理念の浸透、トップや経営者の考えの浸透は難しいのである。

「ネットに何も出ていない」=「いい品質」 ではないのだ。



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2017年7月3日月曜日

この会社に倫理観があるのか

私は、この会社にも、企業倫理はあるものだと信じていた。すくなくとも、企業のリーダーである社長は、その会社を代表する経営者であり、従業員の判断よりも経営判断はあるものだと思っていた。

まして、企業として誤った判断のものを、そのまま保身のために、一消費者に押し付けるという事はしないと思っていた。東芝クレーマー事件を知らない人はいないと思っているが、もしかしたら、徐々に風化しているのかもしれない。

 東芝クレーマー事件:
 https://matome.naver.jp/odai/2139392242223344201

わたしは、旅行会社の社長宛にレターを送った。 私は、これで何かが変わると信じていた。

しかしながら、このレターに対して、社長は見たのか見ないのかはわからないが、
担当の顧問弁護士からしか返事を得ることができなかった。

そう、会社として、もう浄化機能は果たさないことがわかった。
私は、翌週、損害賠償請求の内容証明を送り、訴訟の意思表示をはじめたのだ。





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2017年7月2日日曜日

倫理観なき巨象たち

普通に考えて、サウナで死亡したことに対し、内因死なのか外因死なのかを判断するのに、死亡診断書を書いた医師が、「外因死」による不慮の事故だと言っていることに対して、意義を申し立てるというのは、常識からかけ離れていると思ったが、そういうことを、この旅行会社の弁護士も、保険会社の弁護士もやってみせた。恐ろしいことである。

世の中に、悪魔がいるのだと思った瞬間だ。私は、職業倫理として、善・悪の判断は、間違えてはいけないと思っている。保険のプロ、法律のプロだからこそ、その顧客に寄り添う事が必要だと考えていたが、彼らは違うのだ。ただ、企業の保身をどうするのかを考えるだけであるのだ。

以下の文章は、保険会社の内部文章である。ここには、明らかに「不慮の事故」を否定することはできないという事を記載している。



しかし、彼らは、「そもそも『事故』と呼べるようなものは存在しないことから、いわば、ウォーキング中に熱中症で死亡したのと同様であり、そこに『事故』は介在していない。つまり、そもそも不慮の事故は発生していないから、支払う必要がない」と結論を出したのである。

この文章を読んだ時には、「あー、この会社は、その程度の会社なんだ」と思った。怒りもふつふつと沸き起こったが、この会社の倫理観と私の倫理観とのどちらが正しいのかを公の場で戦い証明させようと思った。

これまで育ててくれた父への恩返の意味を込めて。

P.S.
世の中、腐った奴がいる。ニュースを見ていると倫理観を忘れたリーダーが多い。一流のリーダーに高く求められる資質は、倫理観である。ハーバードでは「リーダーシップと企業倫理」を必修としている。 頭がいい弁護士にこの倫理観がないのは、単なる弱者へのいじめにほかならない。


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