訴訟が始まった。
私の地元である某裁判所で裁判を起こすこととなった。私は、東京地方裁判所でも裁判は可能だと思って、相手先の顧問弁護士に、どこの裁判所が都合がいいのかを念のため確認したが、「答える必要はない」と断られてしまった。
ま、そうやって素人を馬鹿にしているのかな、と思った。私が、法律を学んだのは、大学1年生の時の「法学」の授業だけである。それは顧問弁護士からしたら、大人と幼稚園児の差だと思うのであろう。でも、私もだてに社会人20年やっているわけではない。
私のやっている仕事は、システムエンジニアである。もう少しいうと、プロジェクトマネージャであり、お客様との仕事は、すべて「契約」で成り立っていることを理解している。その契約の背後には、当然ながら「法律」があり、損害賠償の請求から、安全配慮義務、プロフェッショナル責任などの善管注意義務など、さまざまなものが求められるし、それをプロとして遂行している。
相手からすれば、幼稚園児程度かもしれないが、少なくとも「高度な辞書」は読み込み、理解ができるレベルの「幼稚園児」ではあるのだ。訴訟は、次の流れで行われた。
第1回: 訴訟内容の確認で終了 (10分)
第2回: 安全配慮義務違反の確認 (10分)
第3回: 不慮の事故の解釈の確認 (15分)
第4回: 事故発生の機序の確認 (15分)
第5回: 事故発生の機序の確認 (15分)
第6回: 保険会社の調査結果の確認 (15分)
第7回: 終結 (15分)
時系列でいうと、長い道のりである。
H26. 6 : 旅行にて父がなくなる
H26. 9 : 旅行会社がまともな判断ができず保険金不払いを通告
H26. 9-12 : 旅行会社、保険会社顧問弁護士との再調整実施
H27.1-3 : 旅行会社の顧問弁護士との調整で限界を感じる
H27.3 : 旅行会社社長へ直訴
H27.4-7 : 訴訟準備として、本人訴訟の本を読む
H27.8-9 : 訴訟資料作成
H27.10 : 某地方裁判所に訴状提出
H27.12 : 第1回法廷開催
H28.8 : 終結
H28.10 : 第1審判決
父が亡くなったのが、H26.6であり、判決が出たのはH28.10。約2年4か月である。訴訟の開始時点から考えても、H27.10からH28.10の約1年である。
素人の私にしてみれば、裁判は、ストレスそのものであった。なぜならば、「いけ、しゃあしゃあ」と私の倫理観にそぐわないことを述べてくることに対して、一言一句、戦わなければならないのだ。
ずっと、相手のことを「人間の心があるのか?」と疑いたくなるような事を思い続けなければならない。たとえ、それが自分の言葉ではなく、企業という巨象の言葉を代理として述べているのだとしても、相手への経緯の払い方や、気遣いはあるべきであると思うが、なかなか「自身の非」をみとめないのだ。
私が、逆の立場だったら、会社側の社長、法務部に、法廷闘争をするのではなく、過ちを認めて和解するように働きかけたり、落としどころを見極めるために動くと思う。これが、プロジェクトマネージャーに期待される役割だ。
しかし、この企業の弁護士の立ち位置は、そのステージを超えた最終のステージなので歩み寄りなどを一切しないのである。そもそも、裁判官が聞いた「和解はしないのか?」に関して、「そのつもりはない」と答えており、委任とは言え、この旅行会社のスタンスは、こういうふうに消費者を扱うんだと感じたのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿